メキシコ人の死生観から学ぶ

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メキシコ人の死生観から学ぶ

こんにちは!メキシコ留学中の高根美幸です。帰国まであと一週間となりました。今回は、メキシコ人が死をどう捉え、どのように生き、人生をエンジョイしているかについて探っていきたいと思います。

留学前、私がメキシコの文化の中で最大に興味を惹かれたものが「死者の日」でした。というのも、この期間にはメキシコ全体が、「死」を彼らの陽気かつハッピーな雰囲気で包まれるというのです。お墓には多くの食べ物、色とりどりの花、マリアッチという音楽隊の演奏、そして人々の笑顔で溢れます。この、「死」をポジティブに扱うという、日本では想像もできないイベントを切り口に、メキシコ人と日本人の「死」の捉え方、また生き方の相違についても迫りたいと思います。

「Día de muertos 死者の日」って?

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一言でいうと、「生きているものが、亡くなった親類を、愛情に溢れた雰囲気の中で思い出すための日」。

特徴的なものを4つほど挙げたいと思います。

1.Cempasuchi

この日に向けて、町中は「Cempasuchi」という花で一杯になります。メキシコでは、この明るいオレンジ色が、死者の辿る道を照らすと言われています。

2. Pan de Muerto

小麦粉、バター、砂糖、オレンジピール等で作られるパンのこと。骨と涙に見立てられた模様がつけられています。Starbucksでも期間限定で大量に販売されます。

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3. Calabesa 

骸骨の形をした小さい砂糖菓子。驚くことに、そこには生きている者の名前が書かれます。これは、いつか訪れる自分の死を思い出させるためのものだそうです。

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4. Ofrenda 

以上のものがふんだんに供えられた祭壇のこと。映画館やレストランの中、私の通う大学内など町中のあちこちに現れます。

   

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日本のお盆のように、様々なしきたりのもと迎える、何か荘厳で暗いイメージとは全く異なることを実感することが出来ました。

これらを囲みながら、メキシコ人はあの世から愛する故人が帰ってくるのを待ちます。そして、陽気な音楽と家族の笑顔、温かい雰囲気とともに、そのひと時を味わい尽くします。まるでお祭りのようにハッピーな空気に包まれるのです。

メキシコ人の「死」についての考え方

私の周りのメキシコ人らに、ずっと気になっていたことを質問してみました。

「どうして、これほどまでメキシコ人は死に対してポジティブなの?」

一通り聞いてわかったのは、「アステカ文明に由来している」ということ。この答えが多く返ってくるので、調べてみました。アステカ時代の人々にとって、死は"新しい命へと生まれ変わる一つの過程に過ぎないもの"だと考えられていたそうです。

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    生の終わりではなく、永遠の生という幸福のために必要なステップ。アステカ宗教の特徴として、何らかの犠牲(特に心臓をくりぬかれ生贄にされる)により迎える死は、高尚な使命を与えられたことを意味したそうです。確かに「死」に対して、何か特別で、ポジティブな見方がここに覗えます。この考えが何千年の時を超えた今まで脈々と受け継がれているのでしょうか。

 他にも、こんな興味深い意見を聞くことができました。

「僕らの国は、スペインから独立を達成するまでに長く、厳しい道のりを経験している。独立した今でもなお、格差や汚職、経済事情含めて、メキシコを取り巻く環境はいいものじゃない。自分の生活がいつどうなるか分からない、明日の命の保証さえもない、そんな中で、くよくよとネガティブになってもしょうがない。だから、せめて今、この瞬間だけでもポジティブに生きよう。そういう楽観的な考え方が、「死」についてのイメージや僕たちの「生き方」にも影響してるって考えられると思うな」。

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日本人にとっての「死」とは?

では、日本人と「死」はどのような関係にあるのでしょうか。これを考えるにあたって、養老孟司『死の壁』、ネルケ無方『なぜ日本人はご先祖様に祈るのか ドイツ禅僧が見たフシギな死生観』という本を読みましたが、その中で、ある大切な気付きを得ました。

それは、昔と比べて「現代の日本人は死を日常から遠ざけてきた」ということです。その最たる例に「火葬」が挙げられます。今でこそ火葬が主流ですが、高度成長期以前までは土葬も珍しくなかったそう。この習慣があっという間に死体を日常生活から遠ざける方向へと向かわせました。他には、ホテルや病院の部屋に「死」を連想させるため「4」号室がないことや、「アンチエイジング」という言葉から人々が、死と同じ自然の摂理である「老い」というものをネガティブなイメージを持って見ていることからも、それは覗えます。

つまり、日本人は生と不可分のマイナスの部分をできるだけ視界から追いやり見ないようにしてきたといえるのです。

また、本来自然の一部であるはずの死に「実感」が持てなくなってきているとも指摘されていました。特に、「昨日の交通事故死者:1名」と、人の”死”を単なる”数字”に置き換えている派出所の看板にみられる死は、リアルな死を思い浮かべる機会を消し去ってしまっている、と。

養老氏は、「死ぬだの死体だのは見たくもないし、考えたくもないという姿勢は、当たり前のことから目を背けようとしている」と言います。

死に直面したときほど生きる実感が湧いたり、死に感心を持ってこそ生と死が背中合わせであることに気付き、自らの生き方を深く考えたりできるのです。日本人がなぜ死に対してネガティブなイメージを持っているのか、私の中で合点がいきました。

死をタブー視し、それを”生”から遠ざけている日本人。対して、国中を挙げて”死”と向き合う時間を持っているメキシコ人。

この対立に気付いた時、「だからこそ彼らは”死”など恐れずに、あれほど生きることにエネルギーを注ぎこみ、人生を謳歌出来ているのかも!」という、非常に新鮮な気付きを得ることが出来ました。

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   メキシコ人の生き方

このテーマを考えるにあたり、ホストファミリーやメキシコ人の友人、メキシコに拠点を置く日系企業で働く方にお話を伺いました。さらに、『世界幸福度ランキング上位13カ国を旅してわかったこと』という興味深い本からもヒントを得ました。以下にそれらをもとにして考えたことをお話します。

まず、私が考えたメキシコ人の特徴的な生き方を、次の3点にまとめてみました。

1.人生における優先順位はズバリ、家族、健康、仕事。

2. 幸せになるにはモノはあまりいらない。経済以外のところにある、はるかに小さなことで満足を感じることができる。

3. 「明後日できることは明日するな」という気持ちで、メキシコでは何もかもシンプルでゆっくり目、そして軽やか。

どういうことでしょうか。これを特に人間関係と時間という項目に限って、詳しく見ていきたいと思います。

<人間関係>

これはメキシコ人にとって一番大切なものだと実感します。というのも、「あなたが幸せを感じる時はいつですか?」と彼らに質問をしてみたところ、次のような答えがすぐに返ってきたからです。

「息子一緒に過ごす時間」、「大きくなった子供が家を訪ねてくれて、その笑顔を見るとき」、「毎週末家族や友達とご飯を食べ、お喋りをして笑い合う時間」。

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前述の本の中で人間関係についてコメントしているメキシコ人たちがいました。

”生きる意味は他者との繋がりの中で成立するもの。誰もが1人では生きていくことが出来ないし、他者と気分を共有することで生きている。幸せの種を他者に与えることが使命だと思う”のだと。

これを聞いて、こんなことが私の頭をよぎります。

“日本人の私には抵抗があった、あのハグとキスを交わすメキシコ特有の挨拶。あれって、相手と深くコミュニケーションを取るために必要なものだなあ”とか、”メキシコ人は初対面でもニコニコして温かい空気で包んでくれて、こっちまでハッピーな気分になることが多いけど、それは彼らが自分の気分や雰囲気は人に伝染することや、自分のメンタリティが周囲の人の幸せに影響を与えるってことを体験的に知ってるからかな”、と。

<時間>

一言でいうと、メキシコ人は時間を臨機応変に自分の手で”操っている”、という考え方を持っているのです。

彼らは時間に固執していない。だからこそ、バスの時刻表など存在しない中、どんなに待たされたとしてもクレーム一つ言わず、”Hola(こんにちは)”と笑顔で運転手に一声掛けることが出来る。

仕事の場面でもそう。納期を逆算して仕事を進めることはメキシコ人はしない。時間に囚われず、自らの人生の一瞬一瞬を強烈に生きているから、仕事が残っていようが御構い無し。家族とのfiesta(パーティ)があるから、と帰ってしまう。そのようなことが、日本で考えられるでしょうか?まざまざと彼らの生き方を突きつけられた衝撃は、非常に大きかったです。

では日本人はどう生きている?

<人間関係>

まず、注目したのがメキシコ人の人間関係の楽しみ方です。彼らは建前を持ち込まず、本音で付き合うことが大切だと言います。ふと思ったのが、日本人はこれが出来てるかな?ということ。

時間に追われ、仕事を最優先にして生きる中では、お互いが本当の意味で触れ合う前に、すぐ離れてしまっているのではないかな、と思うのです。馴染みのある集団の外の世界では、なおさら他者となかなか濃密な関係を築けない。

これに関連して、広井良典氏の『コミュニティを問い直す』の中に次のようなことが書かれていました。

「現在の日本の状況は、「空気」といった言葉がよく使われることにも示されるように、集団の内部では過剰なほど周りに気を遣わなければならない一方、一歩その集団の外に出ると誰も助けてくれなくなるといった、「ウチとソト」との格差が大きな社会になっている。このことが、人々のストレスと不安を高め、冒頭でふれた高い自殺率や過労死といったことも含めて、生きづらさや閉塞感の根本的な背景になっているのではないだろうか」。

よく耳にする”異なるものを排除する”、という日本人の潜在意識。メキシコにいてつくづく、それがいじめ、そして自殺を生む元になるのもおかしくはないな、と納得するのです。なぜなら、メキシコ人はそんな考え方を持っていないから。 

私の友人の知り合いが、私とは初対面でも、あのハグとキスで ”Como estas? (調子どう?)”と、笑顔で何のためらいもなく近づいてきてくれる。

「美幸(私)みたいな初対面の人、特に他の国からはるばるやってきた人!と話すのは、未知の世界が知れてすごく楽しいよ!もっと話聞かせて」と笑顔で言ってくれる。

彼らは、相手が外国人だろうが、友達の友達だろうが、前々からの知り合いであるかのように親しく話かけてくれます。だから、既知の世界より外に向かって、どんどんとコミュニティの輪が広がっていく。それも彼らのやり方ならば、深く、濃く。日本人も、ここから何か学べることがあるんじゃないかなと心から思います。

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<時間>

面白いと感じたのが、彼らの”空白の時間を大切にする”という考え方。そして、その時間を心から楽しむ勇気を持つ。時間を有効活用しようなどと思わないこと。

東京メトロが遅延の際、電車の停止中に幾度となく 「大変ご迷惑をおかけして、誠に申し訳ありません、お詫び申し上げます」とアナウンスが入る。 周囲から一気にため息が漏れる、舌打ちさえ聞こえてくる。皆一斉にスマホを取り出して連絡を取り始める。そんな空気に包まれた私は、なんだか気がめいってくる。

Starbucksで注文したコーヒーを受け取るのにどれだけ待たされてもイライラしない。それどころか待っている間も、友人との会話を楽しんで笑っている。間近でそんなメキシコ人を幾度となく見たとき、ああそんな時間の使い方もあるのだなと、新鮮な気分を味わうことができました。

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今、思うこと

ここまで、メキシコ人の死へのポジティブな見方を皮切りに、その特徴的な生き方を日本と比較しながら見てきました。

そして、今こんなことが頭の中を駆け巡っています。

世界にはいろんな生き方がある、常識や文化がある。違いを認めることは大切。否定しないことも。でもそれらが元で、様々な社会問題が渦巻いていると考えられるのなら…。そこに新しい風を吹き込むことも大切になってくるんじゃないかなと思うのです。

今回も様々な人とお話する中で、私がここにいる意味というものも再確認することが出来ました。”KARO-SHI(過労死)”という言葉が日本発で世界に広まりつつある、という話をホストマザーとしていたときのこと。「そんな日本の風潮が嫌なんだったら、もうメキシコにずっと居ちゃえば?」と冗談半分で言われました。

そのとき、「ああ、そうじゃないんだ」という思いが湧き上がります。ここメキシコという国で私が発見したこと、吸収したこと、これらを日本に持ち帰らないといけない、一人でも多くの人に知ってもらわないと、日本という国をもっと魅力的にするために。それこそ、私の使命と言ってもいい。だから、今こうして記事も書いています。

あとがき

この記事を執筆中、私の近隣に住む高齢の女性の方が突然亡くなりました。日本から来た私のことを笑顔で受け入れてくれ、ナースの方とリハビリのため外出しているのを見かける度、温かい声を掛けてくれました。「さようなら」の挨拶が出来なかったことを非常に残念に思います。本当に、死というものは予期せず、いつか必ずやってくるということを痛いほどに実感しました。病気で苦しまれていたとはいえ、間違いなく、私に笑顔と幸せを分け与えてくれました。心から感謝します。彼女の人生に私が少しでも触れられたことは、生涯私の誇りです。彼女の「死」を私の「生きる」糧に変えて、私はこれからの人生を歩んでいきます。

今回も最後まで読んで頂き、ありがとうごさいました。

〈参考文献〉

・平井良典 『コミュニティを問い直すーつながり・都市・日本社会の未来ー』 筑摩書房 2014年

・ネルケ無方 『なぜ日本人はご先祖様に祈るのか ドイツ人禅僧が見たフシギな死生観』 幻冬舎新書 2016年

・マイケ・ファン・デン・ボーム, 畔上 司訳 『世界幸福度ランキング 上位13ヵ国を旅してわかったこと』 集英社インターナショナル 2016年

・養老孟司 『死の壁』 新潮社 2008年

・Gatch, Milton McC. Death: meaning and mortality in Christian thought and comtemporary culture. Seabury, 1969.

・Lomnitz-Adler, Claudio. Death and the Idea of Mexico. Zone Books, 2005.

 

この記事を書いた学生ライター

Miyuki Takane
Miyuki Takane
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上智大学英文学科3年。1学期間メキシコシティにあるUniversidad Iberoamericana 大学に留学中。日本とは異なるメキシコの文化に触れるため、色々な場所に出掛けています。メキシコの独特な雰囲気を写真に収めるのが楽しみの一つ。こちらでは、メキシコの文化や政治、経済を学ぶ他、絵画やヨガのクラスにも新しくチャレンジしています。

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