初めまして、本山恵莉奈と申します。駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部に所属しており、国際的視点での社会科学と英語を主に勉強しております。また学業の傍らで、週に一度足立区の児童養護施設へ足を運び、一人の児童の専属ボランティアとして交流しております。
近年、特に20~30代の女性の間で、新しいライフスタイルが注目されています。皆さんも「シンプルライフ」や「ミニマリスト」などのワードを目にしたことがあるのではないでしょうか。
その中のひとつに「スローライフ」というスタイルがあります。 スローライフとは、文字の通り解釈すると「ゆっくりした生活(人生)」となりますが、ただベッドでごろごろと時間を過ごすようなぐーたら生活のことではなく、≪あえて≫スローの意識を大切にすることで、機能的な生活と心の充足の両方を満たすライフスタイルです。
そもそも何故、ひとりの大学生にすぎない私が「スローライフ」について考えるようになったのか。そのきっかけのひとつとなったのは、今年の夏期休暇に経験した始めての海外留学です。1ヶ月ほど、カナダ・ブリティッシュコロンビア州の州都であるヴィクトリアという街にホームステイと語学留学をしていました。
現地での生活は開放感に溢れ、生活を共にする自然の豊富さと美しさ、そして住民の温かさに心が満たされました。ヴィクトリアでの生活については、改めて1つのトピックとしてご紹介しますね。
こうした夢のような生活から日本に戻ってきた私が最初に目にしたもの、人。360度どこを見渡しても人、人、人。空港からの帰途だけで何万人見ただろう…と考えてしまうほど多くの人が歩いていました。
そして何より心が痛んだのが、すれ違う彼らの表情や行動、空間そのものの雰囲気です。帰国時の渋谷駅で感じたあのショックは今でも忘れません。どこを歩いても人々でごったがえす狭い空間で、無表情・無心・ハイスピードの彼らがひたすら歩き続けていました。大きなスーツケースと肩掛けのバッグを抱え、必死に駅の階段を降りようとしている私の後ろから「邪魔だよ」と言わんばかりに迫り来る人々や、舌打ちをする人だっていました。やっとたどり着いた電車でも、満員電車に押し入ろうとするサラリーマンにスマートフォンと向き合い続ける女性…。
このせわしない数時間が当時の私には壮大なストレスに感じられ、泣いて帰宅したことを覚えています。3年目となった東京生活で当たり前だと思っていた暮らし方が、たった30日間のカナダ生活の経験によって大きく崩れる「逆カルチャーショック」を感じた瞬間でした。
就活目前にこのカルチャーショックを受け、「社会人になってもこのせわしなく暗い社会に埋もれてしまいたくない」と思うようになりました。そして、いかにしてストレスフルなこの地と立ち向かっていこうかと模索する中で出会ったのが「スローライフ」の思想だったのです。
元々私は大学入学を機に一人暮らしをしており、流行りのSNSなどでシンプルな暮らしを楽しんでいらっしゃる主婦の方々の投稿を拝見するのが好きでした。しかしそれは、インテリアや生活雑貨など「見た目でのシンプル」に惹かれているだけにすぎないということに気付きました。
シンプルライフやスローライフの根幹の目的は、色を統一したり部屋の整理整頓をしたりすることではないのです。
≪ひとつひとつ丁寧にモノと向き合い、本当に大切なモノを見つけていく≫
これがシンプルライフとスローライフの根底にある考え方です。
では二つの違いは?と思う方もいるでしょう。上の考え”物”に当てはめ、断捨離などを経て辿り着くのが「シンプルライフ」なのです。
一方、先ほど述べた「丁寧に向き合うことで大切なモノを見つける」という考えは、形のない日常の生活にも当てはめられないでしょうか。
例えば、東京にいれば一度は電車を利用しますよね。電車に乗るまでの移動途中に皆さんは何を目にしますか?数えきれないほど多く存在する広告、新しくできたカフェ、会話を楽しんでいるカップルなど。無意識にハイスピードで歩いていては気付かないことが、ゆっくり歩いてみるだけで視界に入ってきます。そして自分の五感で感じたことの中には、印象強く記憶に残り、あなたの知識をひとつ増やすものもあります。
目まぐるしく時が過ぎていく都会で生きる私たちこそ「スローライフ」を通して≪あなたにとっての大切なモノ≫を見つける必要があるのではないでしょうか?
都内に暮らす一人の学生という視点から、心が豊かになるスローライフについて綴っていきます。
駒沢大学の3年生です。時間やモノと向き合う考え方を提案し、心にゆとりをもたらす記事をお届けします。