俳優でありながら、映画監督やイベントプロデューサーなどマルチに活動している小橋賢児氏。彼がクリエイティブ・ディレクターを務めるダンスミュージックの祭典「ULTRA JAPAN 2016」が、9/17から9/19の三日間にわたって開催される。今の日本でダンスミュージックフェスを開くことになった経緯や、その思いを伺った。
——ULTRA JAPANは今年で3年目になると伺いました。ULTRAを日本で開催することになったきっかけを教えてください。
小橋:27歳の頃、アメリカに一年間の語学留学に行っていたんです。その時に春休みを利用してアメリカを横断して、たまたまそのゴールがULTRAの開催されているマイアミでした。ちょうどマイアミに辿り着いたのがULTRAの開催時期で参加することができたんです。その時の想いが忘れられなくて、日本に帰ってから仲間を集めて始めたパーティーがだんだんと大きくなっていって、企業の方からイベントのお仕事を頂けるようになったんです。
そして今から5年前、ULTRAがアジアに上陸する際に、ULTRAのアジアのボスと僕の親友が偶然仲が良くて、紹介してもらったんです。その時は韓国での開催だったんですが、彼との出会いがきっかけでULTRA JAPANを開催することになりました。
——ULTRA JAPANを開催するにあたり、どのような想いを込めましたか?
小橋:当時、ダンスミュージックに特化した大型フェスを東京のど真ん中で開催することは、日本のマーケットの規模や環境を考慮すると非現実的だと言われていました。でも僕は、何もないところから可能性を見出だしたいと思ったんです。そのためには核となる想いが必要だと思って。
僕は俳優を休業して心のリハビリかのように世界を旅していたんですが、情報として知るものとその旅の中で実際に見るものは全然違っていました。これから情報の時代になっていくことで、より一層リアルな体験が必要になってくると、旅をしながら感じたんです。
そして、外から日本を見たときに、日本の若者は未来に対して悲観的な意見を持っているなと思いました。過去にはできたことが規制されていたり、昔は景気が良かったけど今は不景気だという空気がずっと流れていたりと。バブルを経験した大人が「今の若者は冒険しない。俺らの頃にはもっと挑戦していた」と嘆いていて、その大人達が色んなことをやってきた結果、今の若者が何もできなくなっている。大人と若者の気持ちに凄い乖離を感じたんです。
でも僕は若者に世界をもっと知ってほしいと思っていて、どうしたらその気持ちを盛り上げられるだろうと考えたときに、ULTRAというフェスが一番自分にとっては分かりやすいものだったんです。
——これからULTRA JAPANはどう進化していくのでしょうか。
小橋:毎年色々なチャレンジをしています。去年は、ずっとコンクリートの中で踊り続けていたら疲れてしまうのではないかと思ったので、ULTRA PARKというものを設置しました。ハンモックとかを置いて、泊まることはできないけどちょっとしたキャンプ気分を味わってもらえる場所です。今年は、女の子だけでも安心して遊びに来ることができるレディースエリアや、VIP専用エリアの拡大も考えています。
もちろん音楽のジャンルも少しずつ新しいものものを取り入れる予定です。僕らはダンスミュージックのお祭りをやっているので、今定義されているEDM、つまりパーティーソングのようなものだけでなく、常に新しい音楽、新しいスタイルを提案していく。例えばレジスタンスとかに見られるアンダーグラウンドな音楽もフューチャーして、常に時代と歴史を繋いでいく体験メディアです。新人アーティストにはULTRAを踏み台にして海外に進出してもらいたいと考えています。今売れている人だけじゃなくて、新人を自分たちでピックアップして育てていくことを大切にしたいです。
———ULTRAはEDMのフェスではないんですね。
小橋:はい。ULTRAがEDMフェスというのはメディアが勝手にそう呼んでいるだけで、テクノステージも昔からメインステージと同じくらいの規模であるし、ライブステージもあります。そもそもEDMって、「エレクトリック・ダンス・ミュージック」、つまりダンスミュージックを中心とした電子音楽全体のことを指していたんです。これにはテクノもダブステップも含まれていて、ヒップホップ、ロックと同じような言葉でした。
でも2012年から2014年くらいまで、みんなが今EDMだと思っているビッグルームというジャンルのパーティーソングが台頭して、とても人気がありましたよね。その時代にSNSが発達してみんながフェスの様子を拡散するようになった。その結果、EDMという言葉とたまたまそのときに人気だったビッグルームというジャンルが一緒くたになって、それにレコード会社がEDMチューンをパッケージしたり雑誌がEDMムーブメントと銘打って追い風をかけたりと、ビッグルーム=EDMという暗黙の了解ができあがったんです。
文化は興隆と衰退を繰り返すことでつくられる
——日本では、クラブのイメージというとナンパなどネガティブなイメージを持つ人が多いと思います。しかしそのイメージは今ULTRAが少しずつ変えていっているとも思うのですが、いかがでしょうか?
小橋:変えていけたら良いとは思っています。文化ができあがるのには時間がかかるので、まずは楽しいという入り口を作っていけたら良いと思っています。一度入り口を通って自ら好きになれば、自分で掘り下げるようになるし、遊びの質も変わっていく。
今、クラブ=ナンパ、パーティーチューンのイメージで頭ごなしに批判している80年代の人たちの箱って、全部ナンパ箱で、トップ40しかかかっていなかったんです。でもみんな少しずつ成長していって、音楽のジャンルが細分化して文化になっていったんですね。
僕たちも今はまだその成長の段階だと思っています。メディアは、流行っているときだけ取り上げるけれど、ずっと盛り上がり続ける文化なんかなくて、上がったものは一度停滞して文化になるんです。それを理解してメディアが文化を育てる側になっていかないと、いくらいいものがあっても日本に文化は残りません。
世界を見てみると、ダンスミュージックは全然消えていない。ロックが消えないのと同じで、むしろ進化していってるんです。ましてや電子音楽というのはテクノロジーによってできた音楽なので、テクノロジーが進化するにつれてどんどんアップデートされるんです。
今のダンスミュージックを理解できない大人達も、彼らが若いときに流行ったロックやヒップホップを理解しなかった大人と同じことをしてるんです。人間ってどうしてこんなに同じことを繰り返すんだろうと思います。
——次は、小橋さんの哲学や生き方について伺います。ネパールでの26歳の経験が自分を変えたとのことですが、実際にどのような体験があったのでしょうか?
小橋:ネパールというのは本当に貧しい場所でしたが、それより自然や素敵なものがたくさんある国なんです。そんなネパールで出会った同い年の男の子がいて、彼は娘を学校に行かせるお金もないほど貧しかったんです。でも、お金がなくても家族を守っていて、生きる力が断然僕よりもあって、その人間力の差に衝撃を受けました。自分の薄っぺらさに気付かされたんです。災害や戦争が起きたときに一番何が大切かって、当然生きる力だと思うんです。その生きる力を今、物質やお金で武装しているのは物凄く怖いことだなって感じました。彼にバイクで丘の上に夕日を見に連れて行ってもらったんですけど、彼の方が僕より体は小さいのにその背中が大きく見えて、訳も分からず号泣してしまいました。それから日本に戻って、自分の気持ちをごまかしていた今までの自分が嘘っぽく思えて、少しずつ仕事を減らしていきました。
——小橋さんにとって旅とはどういったものなのでしょうか?
小橋:本質を学ぶものですね。自分の持っている感覚や価値観は、身を置くコミュニティによって決まってしまうと思うんです。だから僕は中道という考え方を大切にしていて、両極を知るからこそ真ん中を知ると思っています。例えば、生まれてすぐの赤ちゃんにとって、自分の極は最初に見えた天井かも知れない。もしくは母親かも知れない。これが、自分と世界の極の始まりで、次第に近所の友達や学校の先生、同僚になっていくんです。それが今度はメディアという社会になっていって、旅をしていけば世界になっていきます。このようにどんどん自分の両極が広がれば広がるほど、両方に共通する本質や、フラットな立場が見えてくる。これは広がれば広がるほど見えてくるので、僕にとっての旅というのはこの両極を広げるためのものですね。
——最後に、読んでくれている学生にメッセージをお願いします。
小橋:あまり難しいことを考えず、まずは自分が楽しいと思えることに貪欲になって、本気で遊んでください。みんな遊んでいる振りをしているだけで、全然掘り下げても、チャレンジしてもないんです。本気で遊んだらそれが仕事になります。遊びを毎回アップデートできる人は必ず何かを生み出すことができるし、学びもある。遊びは無駄でもなく、力を抜く場所でもない。本気で遊んだら本物のクリエイティブが生まれます。
——ありがとうございました。
(トップ画像参照元:https://disc-j.net/event-info/9344/)