こんにちは。英国 University of East Anglia (UEA) で国際開発学を勉強しているIgari Yokoです。
今回は、春休みに旅行で行った国、モロッコについてお話しします。
(Morocco!!)
モロッコは、北アフリカ北西部に位置する立憲君主制国家の国です。主な民族は原住民であったベルベル族と、遥か昔に移り住んできたアラブ人。それに伴い、公用語はアラビア語とベルベル語です。しかし、植民地時代の影響があり、都市の人たちの大半はフランス語が堪能です。そして、ほとんどの国民が敬虔なイスラム教徒であり、時間になればモスクに人が集まり、神に祈りを捧げています。
今回、約10日間で3都市を回りました。その中で、最も近代的な都市がフェズで、現地人の活気が溢れる都市がマラケシュでした。どちらの都市も、旧市街と新市街があり、人々の生活は大きく変わります。新市街には、裕福な人が住んでおり、スーパーマーケットやスパ、私たちが名前を知るファーストフードレストランがあり、生活様式でいえば西洋人や私たち日本人とあまり違いはなさそうでした。
また、新市街では、近代と西洋の影響を受けてか、ベールを着用していない女性が多く見受けられました。一方で旧市街に住む人たちはあまり裕福には見えませんでした。しかし、彼ら自身が、自分達の事を貧しいとはあまり感じていない様子で、毎日ゆっくりと気ままに過ごしているようでした。
(雰囲気がある旧市街の通り。)
旧市街はメディナと呼ばれ、壁や門などで囲まれています。メディナには、彼らに必要な住居スペース、市場、モスクが一度に集まれており、大抵の事はその中で済ませる事が出来ます。旧市街では、整備が行き届いておらず、コンクリートではなく、未だに土の道路のままの所もありました。
(食料品を揃える所はスーパーマーケットではなく、旧市街内にたくさんある現地民で運営されているお店やマーケット。鶏もこのまま売っていました。)
政府も何もしていない訳ではありません。聞いた話によると、政府は至る所点在するに小さな町や村にそれぞれ小学校を立てているそうです。そして、寮も含め、小学校から大学まで全ての教育費は無料で行っているとの事でした。
また、観光名所は政府の援助の元に運営されている場所もあります。有名な例としては、タンネリが上げられます。中世から変わらぬ手法で革を染める作業場は、多くの観光客が訪れ、そこで生産された革製品を買っていきます。国にとって大切な観光財産であり、また収入源ということです。
(染色樽は王様の援助を受け、一新された。)
しかし、政府の試みを持っても解決しない問題もあります。
教育の話であれば、果たして全国民が教育を邑なく受かることが出来ているのかについて疑問が残ります。途上国では、生徒(特に女子生徒)の退学が問題であり、モロッコも例外ではありません。日中からマーケットに出て働く子どもを見かけることもありました。
また、観光業を強めるために政府が介入することで生まれる問題もあります--- 需要と供給のバランスが崩れて起こる“市場の失敗”です。政府の援助を受けながら営業しているスカーフや洋服などを売る、ある布製品を扱うあるお店は、観光客を引き寄せるため店内で機織りのデモンストレーションを行っていました。私達、観光客には嬉しいのかもしれませんが、毎日の機織りにより、店内には360度 とても数えられない、捌ききれない数の商品が積み重なっていました。
(布を織るデモンストレーション。そんなに作ってどうするんだろうか...)
アルガンオイルはモロッコの観光産物の一つです。アルガンオイルは、広葉常緑樹のアルガンノキから採取される植物性の油で、料理にはもちろん、美容のためにも用いられます。アルガンノキの硬い種子を石で割り、ペースト状にすり潰してから搾油するという、非常に手間が掛かる工程を経て製造されます。オイルを作るまでの過程で出た身の殻などは燃料や、家畜の餌などに再利用しているので、まったく無駄がありません!
そんな貴重なアルガンオイルを作っているのが山に住む女性たちです。彼女たちは、100%純粋のアルガンオイルを唯一作っている人たちで、街の油商人たちもわざわざ山まで買い付けに来るそうです。(買い付けられたアルガンオイルは、他の油と薄められて街で売られているそうです。 ) アルガンオイルの事業は、元々、離婚した女性の生活を助けるために始まったとのことですが、今ではすっかりモロッコに定着し、その地域に住む女性の貴重な現金収入源となっています。
(伝統的な手法で作られるアルガンオイル。ここで買い物をすることで、彼女達の生活を支えることが出来る。)
しかし、イスラム圏の国では、女性が現金収入を得る事は難しいという現状があります。都会にいる、物乞いの多くが女性で、どこからともなく現れては、観光客にお金を恵んでもらおうと道に座っていました。私も、帰国する直前に、小銭を道端に座っていた2人の女性に渡しました。そのうち一人が、ベール越しの目を見た時に、私とあまり変わらない年齢であることに気づき驚きました。私達がしなければいけないことは、余ったコインを渡す事なのでしょうか?そのチップでは彼女たちの生活を支えることは出来ません。
やはり必要なのは、教育ではないでしょうか。教育は、女性の社会的地位を高めるための始めの一歩だと言えるでしょう。モロッコではまだ女性の識字率は60%程度しかありません。(識字率の低さ言えば、男性も70%程度しかありません。 )
砂漠を訪れた時に、ノマド族という砂漠と山を行き来する遊牧民出身の男性と話をしました。彼は教育を一切受けていません。しかし、今は遊牧民としてではなく、砂漠を案内するガイドとして生活し、彼の子どもたちは学校に通っています。彼は “My life was hard, but now much better” (昔は私の人生は辛かったけど、今は大分良い。) と言っていました。言葉が通じず、深いところまでは聞けませんでしたが、教育の重要性にも気づいているのではないでしょうか。彼は独学で言葉を学び、様々な人と関わることで彼自身の人生を切り開いていきました。
伝統的な暮らしが悪い、ましてはイスラム教徒が悪いと言う気はありません。また、何が何でも開発が途上国にとって必要とも考えていません。しかし、時代の流れは確実に変わり、モロッコといえどもグローバル化が進んでいます。曖昧な提示に聞こえてしまうかも知れませんが、伝統的な生活の中に西洋、又は近代の要素を取り入れて人々の生活を改善していくことが望ましいと考えています。
最後に、少し真面目になり過ぎたかも知れませんが、モロッコはとても良い所でした。見どころはやっぱりサハラ砂漠!…..ではなく人だと思います (笑) 。 どこに行っても面白い日本語で話しかけて来たり、たまに写真を一緒に撮ったり、日本語を話せる方々とご飯を一緒に食べたりする機会もありました。途上国ならではの人との強い関わりを、身を持って感じることが出来てとても良かったです。また、開発を学ぶ上でとても刺激になりました。
(なぜかいきなり民族衣装を着せてくれたお喋りなお母さんと。)
(可愛らしい子ども。)
この記事から、皆さんが何か開発の事について感じ取って頂けたら嬉しいです。また、次の旅行先をいつもと少し変えてみることもお勧めします。
最後まで読んで頂いて、ありがとうございました!
英国 University of East Angliaで人類学を軸に国際開発学を学んでいます。短期大学で幼児教育を学び、職務経験を経て、2014年に渡英。現在、大学の日本人留学生大使としても活動中。facebook 日本人学生による留学体験記