日本人の自国理解の欠如。「日本人とはなにか」を考え続けた司馬遼太郎の『この国のかたち』。

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 私たちは、この日本という国について、どれほど深く理解しているのでしょうか。 

 国民的作家と言われた司馬遼太郎氏は、「日本人とはなにか」という壮大な問いに終生挑み続け、晩年にそれを随想『この国のかたち』でまとめました。司馬氏はおよそ6万冊とも言われる膨大な蔵書から歴史を読み解き、「司馬史観」と呼ばれる独自の歴史観から数多くの歴史小説の傑作が生み出されました。そんな日本最大の知識人の一人とも言える司馬氏が、「日本とはどのような国か」「日本人とはどのような民族か」ということを、歴史から紐解いて明快に説き明かしたのが、『この国のかたち』です。

(出典:http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586728/index.html)


 私たちは、 日本という国、日本人という民族についてどこまで理解しているのか。

 冒頭でも掲げたこの問いは、留学していた頃に、ほとんど自嘲的な文脈で私の頭をよぎったものでした。

 昨年、米国ボストンでの長期留学を経験しましたが、留学を通して、自分がいかに自分の国のことを知らないか、ということを痛感しました。もちろん渡航前にある程度勉強して知識を仕込んで行ったつもりでしたが、実際に他国の生徒から日本について質問され、そもそもよく知らないがために答えられなかったことは多々ありました。

 近年、外国人から見た日本や日本の価値再発見をテーマにしたTV番組や記事が増えるなど、「日本人論」が流行のようになっていますが、これは自国についての無知や、自信喪失の裏返しと見ることができるのではないでしょうか。

 「よく知らない」「自信がない」からこそ、「日本のすごさ」を謳うコンテンツに惹かれるのです。当然の帰結とも言えますが、私はこうした風潮にある種の危機感をおぼえます。

 日本は、世界でも第一級の歴史と文化を持っています。しかしながら、同時に「これは日本ではない」と理不尽に叫びたくなるような愚かで残酷な歴史も経てきました。

歴史もまた一個の人格として見られなくもない。日本史はその肉体も精神も、十分に美しい。ただ、途中、なにかの異変がおこって、遺伝学的な連続性を失うことがあるとすれば、
「それがおれだ」
と、この異胎(日露戦争の勝利から太平洋戦争の敗戦までの40年)はいうのである。
(『この国のかたち』)

わたし(司馬氏)は、二十二歳のとき、凄惨な戦況のなかで敗戦を迎えた。
おろかな国にうまれたものだ、とおもった。昭和初年から十数年、みずからを虎のように思い、愛国を咆哮し、足もとを掘りくずして亡国の結果をみた。自国を亡ぼしたばかりか、他国にも迷惑をかけた。(『この国のかたち』)

 自国の理解も、多元的な歴史認識を欠いた表面的な礼賛に終始すれば、それは野蛮な国粋主義に成り下がってしまいます。私もこのように日本をおおむね肯定する記事を執筆していますが、極右主義者たちを歓喜させることは全くもって私の意図するところではありません。

 自国に誇りを持つということと、盲目的な礼賛者になることとは、天と地ほども違います。まして他民族に「出て行け」などと下品に喚き散らすのは、かえって日本の品格を貶める恥ずべき行為であると言わざるを得ません。

 また日本人の民族優位性を信じて疑わず、それを自信の根拠にしているような人も少なくないように思います。本来、「自己」という独立した人格に対して持つべきであるはずの「自信」や「誇り」を持てず、代わりに「民族の優位性」を信じ、「日本人」という己が所属する集団に自信の根拠を求めている人は、精神の自立していない薄っぺらな人物であると言う他ありません。

 自国を卑下するのでもなく、かといって無批判に褒め讃えるのでもなく、客観的な視野で日本の歴史や特質を捉え、それを踏まえて国際社会の中で日本という国がどのような価値を発揮できるのかを考えていかねばなりません。

 今後、舞台の国内外を問わず、社会での活躍を志す学生にとって、この日本という国の価値を正しく認識することは不可欠になるであろうと予感しています。

 また急速なグローバル化で世界の文化や生活様式が均質化し、日本人が日本人としてのアイデンティティを失いつつある今、「日本人とはなにか」という、この壮大な問いに目を向けてみることに大きな意味があると感じています。

司馬氏は言います。

日本がもしなくても、ヨーロッパ史は成立し、アメリカ合衆国史も成立する。
しかしながら今後、日本のありようによっては、世界に日本が存在してよかったと思う時代がくるかもしれず、その未来の世のひとたちの参考のために、書きとめておいた。
それが、『この国のかたち』とおもってくだされば、ありがたい。
(『司馬遼太郎が考えたこと』)

【日本のすがた①】「日本人」を考え続けた司馬遼太郎の『この国のかたち』

 本稿では、以降を全7回に分けて、「日本人」を形づくる要素が何であるか、またそれが歴史の中でどのように育まれ、現代の私たちにどのような影響を及ぼしているのかということを、主に司馬氏の思索のあとを辿りながら考察してゆきます。それらを理解することによって、読者のみなさんがより一層たのもしい日本人となり、それぞれの分野で活躍し、この国や世界の未来に貢献されることを期待しつつ書きました。

 以下、次回以降の紹介となります。タイトルがリンクになっていますので、クリックしてそのまま記事へ飛んで頂けます。


第二回 日本が経済停滞を打破するために。ものづくり大国を取り戻す鍵は職人への敬い。

ものづくり大国としての基礎や人々の意識がどのように育まれたかを、刀匠などの例を見ながら探ってゆきます。


第三回 日本人の異文化への好奇心と思考の柔軟性はどのように形成されたのか。

”島国”という環境で高められた、異文化への痛々しいばかりの憧憬と好奇心が、日本という国をかたちづくる際にどのように働いたのか。また異文化への柔軟性がどのように生まれ、どのように日本史を加速させたのかを考えます。


第四回 滅びゆく人類に残された希望は日本古来の自然信仰

環境破壊による破綻が杞憂でなくなってきた今日、日本人が古より育んできた自然信仰に、世界から注目が集まっています。それはいかなるものか、現代においてどのような価値を持つのか、明治神宮の神域の森をヒントに考えてゆきます。


第五回 大勢へ順応する保身の徒。「意識高い」と揶揄する・される両者に言いたいこと。

近ごろ話題になることの多い「意識高い系」批判。こうした気分が広まるに至った日本の歴史的背景を探るとともに、この批判の捉え方・向き合い方を考えてゆきます。


第六回 「日本人」を脱ぎ去り「地球人」へ。我々の共同体意識の向かうべき未来。

日本人の公へ奉仕する意識や、また批判の対象となることも多い、組織への強い帰属意識はいかにして生まれたのか、日本史が経てきた統治のしくみを参考に紐解きます。また、21世紀の日本人の共同体意識はどうあるべきなのか、歴史をヒントにして考察します。


第七回 「名こそ惜しけれ」の精神。日本人の倫理観はどこへ行ったのか。

日本人による不祥事や不名誉な事件が絶えない今日、日本人が歴史の中で育んできた独特の倫理観に着目し、日本のあるべき品格を取り戻すためのヒントを探ってゆきます。


最終回 『21世紀に生きる君たちへ』。司馬遼太郎の遺した希望と期待。

司馬氏は晩年、21世紀の担い手となる私たち若い世代に向けて、『21世紀に生きる君たちへ』『洪庵のたいまつ』という、2本からなる珠玉の文章を書き残しました。没後20年を経てなお、彼の文章は色褪せることなく、21世紀を生きる我々の足元を煌々と照らしてくれています。

あとがき

 本稿では、ただ教科書のように歴史の表面をなぞるだけではなく、「日本人」の成立に関わるより深い事実に触れながら、多元的でより本質的な理解が得られるように、ということを留意しつつ以上の8本を書きました。

 この記事のために日本の歴史を随分と勉強し直しました。もともと歴史が好きでしたが、改めて勉強しながら、歴史とはこれほど面白いものか、とその奥深さを幾度となく再認識しました。

司馬氏は言います。

 歴史とはなんでしょう、と聞かれるとき、
「それは大きな世界です。かつて存在した何億という人生が、そこに詰め込まれている世界なのです」
と、答えることにしている。
 私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。
 歴史の中にもいる。
 そこには、この世では求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、私の日常を、励ましたり、なぐさめたりしてくれているのである。だから、私は少なくとも二千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。(『21世紀に生きる君たちへ』)

 歴史を学ぶということは、人間を学ぶということであり、世界を学ぶということでもあります。であるとすれば、考えようによっては主要5教科のなかで歴史ほど有益な学問はないと言い切ることも不可能ではないでしょう。げんに、江戸時代まで学問と言えば主に歴史のことを指しました。

 ですが、もともと歴史が好きな私でも、高校までの歴史の授業を面白いと思ったことはついにありませんでした。しかしながらこの稿を起こすにあたって、日本史を再勉強する際に、小中高で学んだ表面的な歴史の知識が多いに役立ちました。

 今思えば学校での歴史教育というのは、たとえば華道における剣山のようなもので、それだけでは何の役にも立ちませんが、それ無しに花を生けることもできません。手短に例を挙げるなら、北条早雲という名を知らねば、読んでいる本にその名が出てきても頭に引っかかることはなく、「早雲が…」と言われてもピンと来ずに聞き漏らしてしまうでしょう。「聞き覚えがある」というだけで、後学がいかに楽になるかは言うまでもありません。

 歴史の面白さ、有用性というのは、教科書にあるような事実の羅列からさらにもう一段掘り下げて、そこで繰り広げられる人々のドラマを目にしたときに、はじめて自分のものにすることができます。歴史上の数多の人物の中から好きな人物や理想とする人物像を見つけ出し、かれらの生き様から学び、励まされ、生きるよすがとする楽しみは、人生にこれ以上ない充足を与えてくれます。

 以上のことは蛇足ながら、もし読者の中に歴史を退屈なものと誤解している方がいれば、その認識を改めてほしいと切に願うあまり、思わず筆が滑った次第です。この記事が、みなさんの歴史への好奇心を喚起し、この国をより深く理解するきかっけになれば、書き手としてこれにまさる喜びはありません。

この記事を書いた学生ライター

Kazunori Wakao
Kazunori Wakao
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「英語教育を通してアンビシャスな人たちの夢を叶える力になりたい」という夢を実現するため、日本人に最適な語学教育のあり方を求め米国ボストンに留学。現在は日本に帰国し、語学教育事業に注力中。帰国後も執筆の機会を頂けたことに感謝しています。大阪大学4年生。

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