オリィ研究所代表取締役CEO。高校時代に電動車椅子の新機構の発明に関わり、2004年の高校生科学技術チャレンジ(JSEC)で文部科学大臣賞を、2005年にアメリカで開催されたインテル国際学生科学技術フェア(ISEF)に日本代表として出場し、GrandAward3位を受賞。高専で人工知能を学んだ後、早稲田大学創造理工学部へ進学。自身の不登校の体験をもとに、対孤独用分身コミュニケーションロボット「OriHime」を開発する。それにより、2012年、青年版国民栄誉賞である「人間力大賞」に選ばれる。開発したロボットを多くの人に使ってもらうべく、株式会社オリィ研究所設立。自身の実体験から、「ベッドの上に居ながら、会いたい人と会い、社会に参加できる未来の実現」を理念に、開発をすすめている。趣味は折り紙。
ーーまず、オリィさんの簡単な自己紹介をお願いします。
オリィと呼ばれています。「折り紙」と「場所」があだ名の由来です。「孤独の解消」をテーマに、折り紙の先生とロボット関連の事業をやっている株式会社オリィ研究所の代表をしています。
ーー「孤独の解消」をテーマにしたきっかけは何ですか?
もともと体が弱く、生まれてすぐに入院し、小学5年生から中学2年生まで、ほとんど学校に通えませんでした。そのように自分ひとりが取り残された環境で、すごく孤独に苦しんだ経験がきっかけとなっています。学校という環境に復帰できたのは、中学生の頃にものづくりのコンテストに出場し、王寺工業高校というものづくりの高校にすごい先生がいると聞いたからです。もちろん、その高校に進学しました。
ーーその先生というのは?
久保田憲司先生というとても怖い方でした(笑)。この師匠のもとで3年間みっちりものづくりを教えてもらいました。福祉機器に興味があったので、師匠とともに開発をしました。一緒に作った車いすは世界大会で3位をとり、スーパー高校生と呼ばれましたね。
ーーものづくりに没頭された高校時代だったんですね。
そうです。ひたすら車イスを作っていて思ったことがあります。それまで私は不登校だったので、私は社会の荷物で、社会が正しくて自分が間違ってると思っていたんです。でも、世界大会後に多くの人からこんなものも作って欲しいと提案を受け、高校生に頼らないといけない高齢者がこんなにたくさんいるってどういうことなんだと。私にも何かできることがあるんじゃないかと思いました。
ーーその後、香川県の高等専門学校に進学していますよね。
もともと進学せずに師匠のような職人になることが夢だったんです。高校時代に世界大会に出場し、世界の高校生たちと意見交換をしたときに、世界の高校生たちは日本の高校生たちと意識が違うなと感じました。「俺はこの研究をするために生まれてきた!」と言っている高校生が何人かいましたが「私は死ぬまで車いすをやるのか?」と思ったときに、違うと感じてしまったんです。
そして、自分は本当は何をやりたいんだろうと思っていた時に、「孤独の解消」のための研究をしようと思ったんです。いろいろ調べると、そのためには人工知能の研究が良いことがわかりました。香川県の詫間電波工業高等専門学校(現在の香川高等専門学校)に、人工知能に詳しい先生がいたので入学しました。そこでの人工知能の研究はめちゃくちゃおもしろかったです。 ただ、そこまで志が高い人がいませんでした。私は結構変わり者なので、浮いてしまい、友達がいなくなりました。
ーーなかなかおもしろい話です。
自分を理解してくれる友達なんていないから、人工知能で友達を開発すれば私は寂しくないし、高齢者たちは自分にパーソナルな友人ができる。それをモチベーションにして、人工知能の研究にすごくはまってたんですけど、やればやるほど違和感を覚えてきたんです。これで人が癒されてる未来が見えませんでした。やっぱり人は人と会わなきゃいけないんですよ。すると、その人工知能の研究は私が死ぬまでやりたいことではないと思いました。
ーーそれは突き進めていったからこそ見えてきたんじゃないですか。
そうですね。やめようかと思っていた時に、コンテストの審査員だった早稲田大学の橋本周司先生(現早稲田大学副総長)達から「早稲田に来ないか?」というお誘いをいただきました。当時の私は早稲田という名前すら知らなかったけれど、ロボット開発ができるんだったら早稲田に行ってみるのもありかなと思いました。ちょうど2007年に早稲田大学理工学部が創造、先進、基幹の3つの学部に分かれたときに入学したんです。
ーー早稲田の生活はどうでしたか?
人との付き合い方が大変でした。20歳まではほとんど人と話さないような、暗い引きこもりの性格だったんでね。ただし、人との関係性を、ある意味で孤独の解消方法や手段として、人生のテーマに選んでしまった以上、人と話さないといけないんですよ。ということでずっと、ヒッチハイクをしたり、サークルにもたくさん入って色んなことをやるうちに、いつの間にか喋れるようになっていました。そこで、サークル活動の中で得た人間性を研究に活かせないかと思いました。
ーーなるほど。研究室はどうしましたか?
大学3年生の頃に、研究室は自分で作っちゃいました。自分がやりたかった、人の役に立つこと、孤独の解消につながることができるところがなかったので、入りたい研究室がなかったんです。それが「オリィ研究所」の始まりです。
ーーそこでは単位は出ないんですか?
出ないです。でもいいじゃないですか。大学に一応籍は残しつつも、全く卒業を意識しなくなった途端に、やらなきゃいけないことが全部なくなって、全てがやりたいことに変わったんです。で、自分の研究室を作ったのがのちのち「株式会社オリィ研究所」と名前が変わっていくんです。そのときに作ったのがオリヒメです。
ーーなるほど。オリヒメがうまれた背景にはそんなエピソードがあったんですね。
そうです。オリヒメは人工知能ではなく、人が操作をするものです。 病院の中から人が操作すると、オリヒメが見てる映像はその人のところにいく。その人が喋れば、ここから声が出る。周りの人間の声は彼に聞こえる。彼が自由に動かして、人型だったら自由に歩き回れる。
このように分身として使うことによって、友達と遊んだりテレビを見たり、同じものを見て、同じ経験をして、思い出を残したりすることもできます。 私が作りたいのはあくまでも「一緒にいる時間」で、「ロボット」ではありません。私が折り紙会をやってるのもそれが理由です。集まるきっかけを作りたいんです。
ーー「折り紙会」と「オリヒメ」は目的は同じで、手段が違うだけということですか?
そうです。そのツールとしてロボット、その手段としてビジネスというものがあっただけです。でも5年前に作った時は、誰も理解してくれなくて。自分にしかわからないこの感覚をどうにか形にしたいと、がむしゃらにやっていました。
ーー最初は誰もが否定してくる状態から、どのようにして価値があると伝えていったのですか。
とにかく徹底的に入院している子どもに使ってもらいました。 始めは、無菌室に3ヵ月入院してほとんどの時間家族と会えない小学2年生の子の家族に、1週間だけオリヒメを貸してあげました。そうしたら3回延長してほしいという話になり、結局は退院するまで使ってくれました。それまでが長かったです。
ーー実際に使ってみた子どもたちの反応はどうでしたか?
大喜びですね。「テレビを家族と一緒に見た」と、ある子どもは元気になってから私に教えてくれました。「一緒に見た」というところがポイントです。彼の病室にもテレビはあるんですよ。でも違うと。テレビ電話と違ってオリヒメがあることによって存在感を感じることができたと。家族みんなが精神的安心感を得たそうです。 これを聞いて、私が信じていたことは間違っていなかったと思いました。
ーーオリヒメはそのような子どもたちだけではなく、会社の役にも立ちますよね。
そう。持ち運べるので、どこでも使えますし、操作も非常に簡単です。そして孤独のストレスに打ち勝つと。それが私の考える孤独の解消であって、織姫と彦星にように、遠く離れた人に会いたいというコンセプトのプロジェクトです。
ーー最後に、ソフトバンクが出しているペッパーは、感情を理解するという謳い文句じゃないですか。オリィさんにはどううつっているんですか?
ロボット市場が盛り上がってきてるとは思いますね。これから日常の中にロボットが出てくるのが当たり前になってくる。私はロボットをあくまでひとつのツールとして考えていて、ロボットとあらゆる人がその場で意見交換できるインターネットを組み合わせることによって、面白いことができるんじゃないかと。
ーーそうするとロボットが何でもしてくれる未来が見えてきますよね。
はい。でも、ロボットがあらゆることをするのは当たり前なんですよ。すると、人間は何をすればいいんでしょうか。便利になったことによって仕事を失った人は、お金をただ稼いでいたわけではなく、仕事に生き甲斐を感じていた可能性もあると。果たして未来に生きる我々は、何のために生きているんだろうという問いに必ず直面します。その時に新しく出てくるビジネスは「どういうふうに我々人間が生き甲斐を得るか」という生き甲斐コンサルだと思っています。それって人間の本質ですよね。
ーー最近ホーキンス博士が、ロボットが人間を殺す可能性が出てくるという話をされていますよね。
もう殺されていると思いますけどね。例えばパソコンを使うことによって忙殺されたり、オンラインゲームのやりすぎて死んでしまったり。既に我々はロボットに支配されてます。ただ。その殺される形が変わっただけ。そういった未来がもう訪れているんだから、どうするかを今、考える必要がありますよね。