ケニア出身のボニファス・ムワンギさんは、祖国では「問題児」、「ややこしい奴」、「活動家」などたくさんの呼び名で知られているそうです。そして彼は、荒れていた当時のケニアや同国の大統領にたった一人で立ち向かった人だということでも知られています。
彼はどういった理由でケニアの情勢にたった一人で立ち向かったのでしょうか。そして何が彼をそこまで突き動かしたのでしょうか。彼のTEDトークを参考にご紹介します。
彼は幼い頃「ソフティ」と呼ばれていたそうで、それは彼が「ソフトで何も害がない人間」ということから付けられたあだ名でした。彼がこのような性格だったのはもともとではなく、ケニアという国の情勢がそうさせていました。
その当時のケニアは、お金持ち以外は罪深い、と考えられるような社会だったそうで、犯罪者よりも警察官がより多くの人を銃で殺していたのだそうです。しかもその数字は約5倍。人々や社会を守るべき立場である警察がこれほどまでに殺人を犯していたという事実から、当時のケニアがどれほど混乱していたか分かります。
その時に政権を握っていたのはモイ大統領で、独裁政治を繰り広げていました。権力で国を支配し、反逆したものは逮捕されたり、拷問を受けたり、投獄されたり、殺された人もいるそうです。
そんな社会状況から、静かに、臆病に、そして害がない人間に育つように教育を受けたのです。トラブルに巻き込まれなければ生きていける。そのためには自分の意見を押し殺して臆病に、静かに生きていくべきだという考えがありました。
そして今から8年前、とある選挙がありました。しかし選挙は良い結果を生み出すどころか、抗争や暴力、レイプなどの事件をも生んでしまったのです。
そんななか、彼の仕事はそういった事件を写真に残すことでした。暴力や殺人、強制退去やレイプ。写真を撮る中で全てを目にした彼は精神的にまいっていました。
そんな状況の中でも、臆病に生きるという考えがよぎり、誰もそのことに対して言及しなかったのです。その10か月後、彼は仕事を辞め、友人たちとケニアにはびこる暴力について語ろうとしました。
そしてある計画を立てたのです。ケニアの祝日だった2009年6月1日、大統領が来るスタジアムに向かい友人と共に注目を引こうとしたのです。大統領が来るとあって国中に放送される予定で、さらに良い機会だと思ったのだそうです。
しかし、いざ向かうとそこにいたのは彼一人。友人は彼を裏切り姿を見せませんでした。彼はびくびくし、頭が真っ白になったそうですが、何かしなければいけないということは分かっていました。
今までのように臆病者として生きるのか、立ち上がるのかの決断でした。
そして大統領が登壇した瞬間、彼は叫びました。
「選挙後の犠牲者を覚えていますか!?汚職を辞めて下さい!」と。
すると次の瞬間、警察官が彼を引きずり下ろし、彼を刑務所に収容したのです。彼はその時の自分の行動を刑務所で振り返り、まだケニアにはびこっていた沈黙を守る風潮をどのようにして破っていくかを考えました。
そして彼が考えたのが、彼の写真を路上で展示することでした。暴力が行われている写真を展示し、展覧会を開く会場を政治的な話を語り合える場に変えていきました。
そういった機会が増え、メディアに取り上げられることも多くなり、ケニアだけでなくアフリカ大陸中に広まっていったのだと言います。
スタジアムで声を上げたとき彼は一人でした。しかし、今では多くの仲間がいるそうです。強い思いを持って国を変えていきたいと思う若者が増え、そういった人々と共に活動しています。
彼は「人生には重要な日が2度あります。自分が生まれた日と、自分がなぜ生まれたかを認識する日です。スタジアムで声を上げた日はまさに、自分が生まれた理由を悟った日でした。沈黙に負けず、立ち向かっていくということです。」と語りました。
私達にも、私達だからできること、しなければいけないことがあるでしょうか。
・The day I stood up alone By Boniface Mwangi
「私が一人で立ち上がった日」 By ボニファス・ムワンギ
海外ドラマ・映画に影響されて15歳でアメリカ留学へ。現在大学では海外から来た生徒と一緒に授業を全て英語で受けています。最近はイベントで通訳をしたり、韓国語を勉強したりと忙しい日々を送っています!主に海外の記事を参考にオリジナル記事を作成していきたいと思います!