第二次世界大戦中のアメリカ人捕虜の強制労働をめぐり、三菱とアメリカの被害者交渉団が和解する合意を固めました。実際に日本企業がアメリカ側に痛切な「反省」と深い「謝罪」の意を表したのは今回が初めてだとされています。(出典:http://www.bbc.com/news/world-asia-33584704)
鉱山での労働を強いられた戦争捕虜の1人、ジェームズ・マーフィー氏(94歳)が会見に出席し、謝罪を受け入れました。彼は『70年間この日を待ち望んでいた。本当に良い日になった。三菱代表の木村氏の謝罪には誠意があったし、事実を全て明らかにしていてとても良かった』と述べました。
『日本との理解と関係がますます深まることに期待したい』と付け加え、謝罪会見を終えた木村氏と握手を交わしました。
今年の8月15日でちょうど70回目の終戦記念日を迎えるため、今回の謝罪と合意には大きな意義がありました。『戦争捕虜に強制労働させていた他の団体も三菱を見習うべきだ』との声も挙がっています。
戦時中、フィリピン、韓国、そして中国からの戦争捕虜の中でおよそ500人ものアメリカ人捕虜が日本人兵士によって鉱山での過酷な労働を強いられました。戦争後70年経った今、生存者はたった2人、そのうち今回の会見のためにロサンゼルスの会場まで向かうことが出来たのはマーフィー氏1人でした。
マーフィー氏は1年間岩手県の花輪鉱山での労働を強いられ、文字通り本物の恐怖を味わったとアメリカのメディアに話しました。『全てにおいて奴隷状態だった。食事、薬、衣服や公衆衛生など一切なかった。三菱は強制労働だけでなくアメリカ軍に対して戦闘機も作っていたので腹立たしさもあった』と述べました。
突然連行し、重労働を強制した日本兵たちのことは許していたと話すマーフィー氏。しかし地獄のような試練を課せられたことにきちんとした謝罪の言葉が欲しかった、と述べました。謝罪金や慰謝料などはありませんが、この謝罪を長年待ちわびていたマーフィー氏にとって何ものにも代え難い歴史的な日となったのです。
さらに三菱が中国人の戦争捕虜3765人を対象に謝罪表明と包括的な金銭補償に踏み切ることも明らかになっています。双方は近日中に北京で合意書に調印する準備をしています。
第二次世界大戦中の中国人強制連行をめぐり、日本の最高裁が過去に賠償請求を認めなかった中国人被害者に対して、三菱は自主的に謝罪し、中国側の交渉団と和解に合意する方針です。
三菱側は1人当たり約200万円を支払い、記念碑の費用1億円と被害者の遺族や他の被害者を捜索するための調査費を2億円、総額80億円を支払う方針です。
日本で強制労働を強いられた中国人で健全なのはわずか十数人にまで減っており、被害者がまだ生きている間に謝罪を、との思いから昨年三菱との交渉が始まりました。
中国側の交渉団は1つでなく、計4グループあり、そのうち1グループはすでに和解交渉から離脱していたため、残りの3グループとの合意が固まり、双方の和解へとつながりました。
今回三菱が過去最多の金額を投じて謝罪と補償に応じた背景には、70回目の終戦記念日を迎える節目だという他に、海外市場でのビジネス環境を整える上で必要不可欠だったという狙いがあったようにも伺えます。
BBC駐在員が『どうして謝罪に戦後これほど時間がかかったのかわからない』と明かしましたが、この70年間に地獄のような記憶を抱えたまま謝罪の言葉や補償を受けることなく生涯を終えた戦争犠牲者は数え切れないでしょう。安保法案をめぐり日本は大きく揺れていますが、長い歴史を振り返ってみる時、今の日本がどうして平和になったのか考えさせられるのではないでしょうか。
アメリカ極寒の田舎で4年半国際ビジネスを勉強してました。卒業後アメリカ南下を目指すも失敗し、北上してさらに極寒のシカゴで働いてます。これは!と個人的に思った海外記事を発信していきます☆